デッサン集「道を歩く猿」          @ 銀座 Key Gallery 2003年 3月

             (1) ある日猿をみつける

             (2) 猿をならす

             (3) 猿に芸を仕込んで芸人となる

             (4) しだいに猿は成長する

           (5) 大きくなりすぎた猿に背負われて知らない土地を旅する

      (6) 猿にだまされて体を棄ててしまう

             (7) 猿に生まれ変わる

             (8) 人間につかまる

             (9) 嘲りと慰撫、愛と呪いの言葉を日々聴く

             (10) しだいに毛が抜け人に似る

トタン板に油絵具で着彩 
(1)(2)(4)(5)(7)(8)(9)(10)=650o×650o 
(3)=650mm×1,300mm (6)=1,300mm×650mm

展 覧 会

【 口 上 】
■猿たちの居る場所
 勝手に立ち上がり、発展し成熟するイメージ=物語は、突き破ることも引き剥がすことも困難な、ごくごく薄い透明な膜のようにして私と現実の世界との間に存在する。
 私はその膜を通して物事を見、もろもろのブツに触れる。つまり私と世界を結びつけながら同時に隔ててもいる膜が、イメージ=物語なのである。
 そのカプセルの中で、夢の中で見る夢のように、入れ子のように更にいくつもの物語が生まれる。その二重の物語の、薄い膜の、浅い場所に猿たちはたくさんいる。それはあまりにもあっけなく簡単に捕まるのだ。いくらでも。
 もしかするとそれは猿のように見えても実はまったく違う生き物で、チルチル・ミチルがたくさん捕まえた偽物の青い鳥のように、ある場所から連れ出そうとすると、息絶えて灰色の死骸の山になってしまうような生き物なのかもしれない。
 私は彼らを、その存在のように希薄な絵として描きたかった。ハレーションを起こして消え去ってしまうような印象の絵として。
■トタン板に絵を描く
 トタン板に絵を描くと、光の反射のしかたで色の見え方や、奥行きの距離感がまったく違ってしまう。しかも安っぽくてきらびやかだ。
 最近は見なくなったトラック野郎の車体全面に描かれたデコレーションや看板を連想させる。
 このスゴロクのような物語を、おもちゃのように描き付ける素材としてはぴったりと思えた。