10歳の時に手塚治虫の漫画『ビッグX』他を読み漫画家を目指す決意をする。
その後次第にマンガだけでなく視覚によって伝達する表現形式全般(絵画、彫刻等)に興味を抱くようになった。
しかし、15歳を過ぎた頃から精神は安定性を失い私の生存自体が大変危機的な状況に陥ることになった。
日常的に原因の分からない倦怠感を感じ、何事にも意欲がわかなくなり、心は何を見ても漠然とした恐怖、絶望感、強い悲しみ、孤独感、怒りと苛立ちの波に支配されるようになり、漫画家や絵描きとして表現の世界を作り出そうと努力するも作品を完成させることが困難となり、それどころか日常的な生活を維持するのさえ苦痛になってしまった。
最も心が苦しめられたのが、現実感の消失である。
自分の外界の人や物が遠く遠く小さく見え、自分とのかかわりが解らなくなり世界のすべてから生命感が無くなったように感じられるということがしばしば起こったのだ。
物自体は見えているのにあまりにリアリティがないために本当に目に見えているという実感がわかなくなることもあった。
その状態は断続的に続いたが、20歳を過ぎた頃に不思議なことに気づいた。現実の外界の事象がいかにリアリティを失っている時であってもものの輪郭だけを描くと、描かれたものにはリアリティが生まれるということだった。
本物の卵を見ても現実感はないが、何故かその輪郭だけを描くと、その絵に描かれた卵は愛らしく卵らしかったのだ。
やがて時間とともに病的な精神状態は徐々に軽減されていき、非現実感も収まってきたので、原因について分析することが出来るようになった。そして同時に絵画や立体作品などの作品を作り上げることも出来るようになった。
分析の過程と作品が生まれる過程は重なっている。
作品を作ることによって私は私の精神の状態とその背景をとらえることが出来るようになったのだ。
そして分かった主な原因の一つ目は両親の無自覚な精神的暴力にあった。両親は子供を、精神を持った一人の個人として認めることはなかった。
二つ目の原因は極端に自然が貧しい環境で育ったことにある。1960年代の東京の工業地帯であった江東区の自然は破壊され土・水・大気の汚染は日常生活上、人体に危険なレベルであった。
豊かな自然の多様性にほとんど触れることなく子供時代は終わった。
三つ目の原因は歴史の流れをさかのぼってたどれないよう歴史を分断して教える日本の戦後教育のあり方にある。日本の教育は投下された原爆の責任が誰にあるのか決して教えない。第二次世界大戦の敗戦が今日の社会に具体的にどうつながっているのかを教えず、敗戦の原因も責任も問わない。
今自分がどういう国に生きているのかを簡単には考えられない人間を作るためのシステムとしての教育が行われているのだ。
美術学校を卒業した後10年ほど試行錯誤をした結果手に入れた私の作品の作り方は、まず分からない理解できない、それゆえに自己の存在を脅かすものを主体に、それに関連していると思われるイメージを収集する。
そしてイメージを絵画や立体や音などに写し取る。
出来たものはイメージの模型、モデルであるがこれを展示空間に配置する。
後から気づいたことだが、この方法は箱庭療法と呼ばれる心理療法に構造がよく似ている。箱庭療法ではまず箱という枠があって(私の場合は画廊などの展示空間の制約)そこに患者(クライアント)はあらかじめ医師(セラピスト)が用意したおもちゃや模型を置いて箱庭を完成させる。その庭について医師との語り合いの中で、庭の制作者である患者は自分の無意識や意識を観察して理解するのである。医師との語り合いの主な目的は全体とディテールに隠されたストーリーの発見にある。
私の制作物もストーリーとの関りがある。もともとストーリーがあってそれに沿って立体や絵画を制作する場合と制作した立体や絵画自体がストーリー性を持っている場合とがある。
私はストーリーというものそれ自体が一種の模型だと考えている。
模型とは現実や元の対象とはスケールと情報量が違う複製の造作物のことである。
ストーリーという模型を絵という模型で作り上げる構造は漫画にも通じるものがある。
私の制作の方法のルーツは10代〜20代のころ気づいた紙の上の輪郭だけの卵にある。
紙の上の空間という現実とは異なるバーチャルな環境に輪郭だけ、つまり極端に情報量の少ない対象のモデルを再現することで現実と心の回路がつながる―世界に対する親和性を復活させうる―ということにインスパイアされたのである。
私の制作の目的はまず第一に自分の精神と肉体を病的な荒廃から救うことにあり、次に自分に似た人たちに何らかの心的な充足感を味わってほしいとの望みにある。
更に具体的に言うと以下のような目的が達成できるかどうかを実験するための作業である。
@ 生の実感の獲得
A 死と再生の儀式の疑似体験
B 子供時代に享受できなかった外界の自然環境のために枯渇している、体内の自然の修復
C 日本の近・現代史(美術史も含む)の学習